然らば

かくいう俺もそんな気奴らの1人だった 

街の流れは妙に穏やかで、日が暮れる前に帰路につくのは久しぶりだ。 

やがて朝になる頃に夢を見て、朝起きてまた夢を見て。 


然らば は さらば ではなく しからば と読むことにした。 

それならば、という。 

たらればの中にらばを混ぜ込んで三位一体誤魔化しの相! 


コンコルドとなめくじ

大抵の約束はしたような、してないようなそんなもんだと思うようにした。

望んでも叶わないことはあるから別に気にしてないよって言えるように頑張ろうと思う。

ただ信はそこには生まれ得ないから期待しないでねって、そういうこと。

いつか来る終わりが段々近くなってきた気がして、なにもかも予想通りに言ったら本当に俺はすごいのかもしれない。

自分だけ頑張ったりするのはもうやめな、みんなが愛を持っていればそんな事もおきないけれど。愛を持ってる人なんてそうそういないってそういう事さ。

来週は京都にライブにいきます。

バンドはいつも裏切らないからいいんだ。

Re plastination

解決する前に次の問題が

思考を終える前に次の想像が

言い切る前に次の言葉が

頭の中が常に動いている時はないかい。

近頃はそういう事が続いていて夜もうまく飼い慣らせないまま。

あのタクシーはどこへ行くのかと思えば、きっとまた外の世界まであと一歩といったところで降ろされてしまうのだろう。と思う。

昔いった天草で食べた妙なお茶菓子の味をふと思い出して、どこか遠くへ行きたいと思ってしまう。

昨日は野方ではなく沼袋から歩いて帰ってみた。いつもと違う景色には新鮮さなどは特に無くて、都会はやはり都会のままだ。しばらく歩くと集団墓地に辿り着いた。

そこから見る景色はやけにひらけていて、星までの距離が少しぼやけて見えた。

星になって なんて簡単な文句はあるけれど、物言わぬ石に押し込められる慣習はきっと僕がそこに入るまで変わらないままなのだろう。

今なら父さんが、死んだら鳥葬にしてくれと言った気持ちが少しわかるなあ。

今日は少し疲れたよ。

パンセとコロッケ

人は考える葦であれ

数多の解釈があれど生きるという事はこの言葉に尽きる、浸かる事であると俺は思う。

産声をあげて、毛が生えて、己の足でなんとか立ってみて、気付いたら唐突に現れた支配者に与する事しか出来ないのかもしれない。

まあ唐突な支配者なんてのも理解していなかっただけで元より其処に在ったのだ、目を逸らしていただけで。

ギターを持つことが少なくなってしまった去年から今年のはじめ。其れなのにいままでよりも浮かんでくるメロディや言葉について考えていると、やはり何かを作るという事は肌で感じて寒気と死と倦怠感と幸福により作用するのだろう。 とカルメ焼きより甘い理論を打ち立て俺はステージに上がるのだ。

「どうだ全ては、間違っていなかっただろう!」と己の心に問いかけるように、二足歩行の猫の様に俺は今日も歩く。

退屈な日常における決められた狂人よりも、何も受け入れず染められた常人な狂人であれ。

人は考える葦である

清潔なホームレス

山手線の終電は大体遅れる。

はやく帰りたくても大体遅れる。

体に貼った湿布薬が冬の寒さを加速させていくので、俺は風邪をひいてしまうのではないか、冬将軍が去るまで油断はできん。と勝手に一人相撲をはじめている。

その時その時、一番望んだものは手に入らない。有識者は欲が足りないと、そう言う。

俺は侮蔑の目を向け唾を吐き大股で歩きながら、都合の良いことばかり言うな!と叫ぶ。

アスファルトには静かに俺の雫が落ちる音だけが響いていた。

まるで幽園の様なそこには俺と街灯以外なにひとつ存在していなかった。

やがて道のりの中間へたどり着いた時、次の煙草が存在しない事に気付いた。

阿婆擦れな緑の光が俺を受け入れてくれる。

24時間365日の不衛生な看板が俺を受け入れてくれる。

そして夜は、鬼に飼いならされた犬の様な声をだす。獰猛でいて怯えている様な其れは、ただ俺の身体を支配する為に、存在しているのであった。

スパイスとコンドーム

午前9時我先に、我先にと電車へ乗り込むブルーカラー。地元のお祭りの様に毎日毎日、賑わっている。というより蔓延っている?

本日は晴天なりと俺も叫びたかった。

しかし生憎今日の空は可笑しいほどグレー。

まるで仕上げのスパイスの様に誰にも気付かれない様に泣いていた。

長くながあく生きた女性に「貴方が世話役でない事をどうやって説明できようか?」と成る程答えに詰まる質問を僕に投げかけた。

「大切な事は信じる事と、信じない事です。」俺の口から驚く程出た言葉は果たして願望か理想か、それとも確証か。

俺も迷い迷い迷い日々を進む。誰の事も信じてこなかったツケを今払わされている。

誰かを信じる為にはきちんと積み立てなければいけないのだ。と、真っ当な答えを出してしまう。

結局のところ俺は貴方と音楽だけに救われているのだ。

俺が出来るのは貴方が通る道を整地してあげるところまで、そこから先は貴方が選ばなければならい。エゴではあるけれど、俺の為にも、君のためにも。

生活が変われば、生活が変わればいいのに。

唱えるだけはタダである。

しかし俺は真っ当に唱えながらも足を動かせる様になった。

誰かのためをきちんと見つめる様になった。

誰かが逃げ出そうとしても俺は多分歌い続けるんだろう。それくらいでいい、それくらいでいい。

経典と狂言

宣教師とコメンテーターの違いは人を愛するか愛さないかくらいなのかもしれない

やがてくる稚拙な終わりを求めて、ただ通り過ぎるだけの道草になるのか。それとも一度に介する様に餞けになるのか。

それなりの努力にはそれなりの報いを、ただならぬ努力には否定を突きつける理不尽だらけだから、愚民達のやっかみにはほとほと愛想が尽きる。

いつからか変わった価値観と、いつの間にか終わった映画と、いつかまた会うかもしれない友人と。人生のツアーシップは相席御免、過疎化御礼。

本当のことなんて友達さえも知りはしない。

愛は至難さ、また会おう外の世界で。