パンセとコロッケ

人は考える葦であれ

数多の解釈があれど生きるという事はこの言葉に尽きる、浸かる事であると俺は思う。

産声をあげて、毛が生えて、己の足でなんとか立ってみて、気付いたら唐突に現れた支配者に与する事しか出来ないのかもしれない。

まあ唐突な支配者なんてのも理解していなかっただけで元より其処に在ったのだ、目を逸らしていただけで。

ギターを持つことが少なくなってしまった去年から今年のはじめ。其れなのにいままでよりも浮かんでくるメロディや言葉について考えていると、やはり何かを作るという事は肌で感じて寒気と死と倦怠感と幸福により作用するのだろう。 とカルメ焼きより甘い理論を打ち立て俺はステージに上がるのだ。

「どうだ全ては、間違っていなかっただろう!」と己の心に問いかけるように、二足歩行の猫の様に俺は今日も歩く。

退屈な日常における決められた狂人よりも、何も受け入れず染められた常人な狂人であれ。

人は考える葦である