足元にある生活感
ひとつ確かなものとして歩みの代償というものがある。歩けば歩く程靴は汚れていくし、綺麗にしなければゴミ捨て場行きになる。
綺麗にするには根気がいるし、根気をつけるには余裕が必要になる。
余裕を得るためには技術がいるし、技術を身につけるためには時間が必要になる。
その上で僕たちは本当に前だけを向いて生きるべきなのか?を考えてみたい。
そもそも意識する事はとても簡単な様で長続きしないよな、僕だってそうだしずっとそういう風に考えていると疲れてしまう。
けれど行動や結果って多分意識を続けないと伴わないんだよなあ。
ひとつくらい手を抜いてもいいかなって思えるところがあればもう少しは楽になると思うんだけれど、そういうわけにはいかなかったりして。やれ凌ぎだ、探求だ。といっても手に入れるには相応の対価がいるなあ。
目的が不便極まりない事であっても、1人より2人、2人より3人、3人より4人と真実が増えて行けば1人頭の辛さが4人頭になって、しわ寄せなんて誰も感じなくなると思う。
けれど人はやっぱり、誰かが、誰かがと考えてしまうからこんなことはただの理想だったりする。
世に生きる人類がみんな、駅で人にぶつからない様に努めたり、順番をちゃんと待ったり、労うことや祈ることを惜しまなかったりすればもっと楽になるのではないかなあ。
でもきっとこんなこと誰も考えてないってわかってるけれどね。
ただひとつ優しく強くなって、そうすればもっと素敵になれる気がする。
ひと匙の苦味を分け合って笑ったりできればもっと素敵になれるよきっと。
今日はサムズのレコ発にお邪魔しました。立花くんありがとう、助かりました。
いいものにはちゃんと応えよう。
はははん