屋根裏部屋から覗くキッチン

大層なアイランドキッチンと言うよりは合理的な並びの調理場といった雰囲気でいつも母の両手は軽快に動いていた。

歌いながら悲鳴をあげながらも立ち続けた場所は、増える泣き声と共に重なる食器と嵩む光熱費でいっぱいになった。

けれどもそこはいつも全てを満たす場所のまま。お世辞にも綺麗とは言えないが清潔なまま少しずつ減っていく食器を、彼女はまた食器棚に戻すのであった。

時すれば辞するほど回っていく生活の様に、君の様相も変わっていって良いと思う。

僕の言葉である様に、君の言葉である様に。

おやすみなさい

助からずとも大鴉

賢しらな理分と幼稚な依存心においていつの間にか人は殺し屋の様になったりする。

多分独りきりな様な、2人でも独りきりな様なそんな感じ。

伝わらない人にはいつまでも伝わらない事だから別に普通よ、普通。

先月録音した曲を聞いて、もしかして僕達天才なのでは・・?と思ったり、ここがこうでピッチがああだなあと不貞腐れたり。

この道はいつまでも思考と勝負だなあ、取捨選択というよりどの筆を選ぶかと言った感じ。

来週は来週はと言っていたらいつの間にか11月、明けの飛躍は暮れには堕落に変わっていないだろうか。清潔感そのままにすこうしずつ汚れて行って、それでなんでも無問題。

今日も飯を作ってギターを弾いて寝る。

さもなくば死ぬ。

耳鳴りとこだわり

およそ40分程遅れた電車は宛ら月初のコンビニエンスストアの様に重たい足を進めている。

やがて着く場所でコーヒーを買って、煙草を吸って今日も帰るのだろうなあ。

そういえば最近はずっと耳鳴りがしていて、少し辛いなあ。でも好きな事やってるのだから仕方ないのかなあ、そうは思いたくないけれど。

少し休んで気付いたけれど働くという行為は本当に気付かないうちに人を追い詰めているのだ。だらだらと続けていると、賞味期限の切れそうな牛乳の様に饐えた匂いを醸し出して、もつれちゃってあららあさ。

新宿駅で「好きな歌歌えないならやめる」「酔っ払ってないといい歌が歌えない」と言ってる女子をみた。なんだか無性にその子の歌を聴いてみたくなったけれど、駅構内で煙草を吸う輩に期待を持てるほど僕の心は広くない。

毎日、歌うだろうか歌わないだろうかわからん歌を作っている。それでもこんなに幸福で、無敵になれる。さあさ夜は短し、走るぞ。

優秀な足手まとい

だんだんと輝きを増す冬の星は、少しずつ終わりを知らせる様で物悲しい気持ちになる。

退屈な日常における素晴らしい瞬間を、胸中八景と共に記すことが至上の目的である。

そんな大言壮語の中にひとひらの愛しさを見出してデラシネは今日も歩く。

また明日。

足元にある生活感

ひとつ確かなものとして歩みの代償というものがある。歩けば歩く程靴は汚れていくし、綺麗にしなければゴミ捨て場行きになる。

綺麗にするには根気がいるし、根気をつけるには余裕が必要になる。

余裕を得るためには技術がいるし、技術を身につけるためには時間が必要になる。

その上で僕たちは本当に前だけを向いて生きるべきなのか?を考えてみたい。

そもそも意識する事はとても簡単な様で長続きしないよな、僕だってそうだしずっとそういう風に考えていると疲れてしまう。

けれど行動や結果って多分意識を続けないと伴わないんだよなあ。

ひとつくらい手を抜いてもいいかなって思えるところがあればもう少しは楽になると思うんだけれど、そういうわけにはいかなかったりして。やれ凌ぎだ、探求だ。といっても手に入れるには相応の対価がいるなあ。

目的が不便極まりない事であっても、1人より2人、2人より3人、3人より4人と真実が増えて行けば1人頭の辛さが4人頭になって、しわ寄せなんて誰も感じなくなると思う。

けれど人はやっぱり、誰かが、誰かがと考えてしまうからこんなことはただの理想だったりする。

世に生きる人類がみんな、駅で人にぶつからない様に努めたり、順番をちゃんと待ったり、労うことや祈ることを惜しまなかったりすればもっと楽になるのではないかなあ。

でもきっとこんなこと誰も考えてないってわかってるけれどね。

ただひとつ優しく強くなって、そうすればもっと素敵になれる気がする。

ひと匙の苦味を分け合って笑ったりできればもっと素敵になれるよきっと。

今日はサムズのレコ発にお邪魔しました。立花くんありがとう、助かりました。

いいものにはちゃんと応えよう。

はははん

体力のない音楽家

バンドマンは俗に言う体力馬鹿の集まりの様なところがあって、おおよそ普通の人間か経験する事のないであろう過密労働や活動時間と共に生活をしている。

二年前までは僕もその様な感じでツアー、ツアー、遠征、ライブ、バイト、遠征の様な変な活動をしていた。

そのうち実入りと貴賎の辻褄が合わなくなって一旦止まってしまった。

出来るだけ食事を摂らなかったり、出来るだけ電車を使わなかったりして凌いだり今思うと阿保だなあ。

久しぶりに帰ってきた家にはいつもの空気が漂っていて、なんとなく幸福を感じた。

一緒にいたい人や叫びたい人、よくわからん感情に左右されてもなんとか、なんとか人を傷つける事無く生きていきたいよなあ。

なんにも言えなくて辛いって言ったら、それじゃ自分が辛くなるんだから言わなきゃって人は言う。けれどそれで誰か傷付けちゃったら寝覚めは悪いと思うんだ。もう、それだけでなんとなく心臓はぞわぞわする。

今日も電車賃を浮かすために歩いた。

明日の朝も多分、モンスターを買って駅まで歩く。

ハーシーズ

甘い、臭い、粘っこい。ハーシーズのチョコレートシロップ。

昔朝食のパンにかけた時に少し吐き気がしたのを覚えている。

最近は家で料理を久しぶりにする様になった。

今日は天津飯と鯛のすまし汁と豚しゃぶとささみのスモークだったのでありますが、ささみがパッッサパサで終始無言になった。

退屈な生活のチルアウトの中に、どうしてかほんの少しの温かみを感じる。時は過ぎるというのに、今日は折角伸ばした髪も切ってしまった。

ここ数日はめまぐるしくて中々大変だったけれど、良い忙しさだったなあ。

その中で何曲か新しい曲を書いて、ざまあみろざまあみろと念じてる僕は嫌な奴。そんな奴は損な奴だ。

誰しもいつかいなくなってしまうってとても悲しい話を思い出して、今日も冬の空気を吸っては投げ吸っては投げ。 進むぞ凡人、ついてこい才能人!ふぁっくゆーいふみーきゃん!